たけ(tk)訳『般若心経』

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  ◎  たけ(tk)訳
  ○  解説

  摩訶般若波羅蜜多心経          まかはんにゃはらみったしんぎょう

        ◎  『穏やかな心に至る(波羅蜜多)大いなる(摩訶)知恵(般若)
          の心の話』

  観自在菩薩、                  かんじざいぼさつ
    行深般若波羅蜜多時、        ぎょうじんはんにゃはらみったじ
    照見五蘊皆空、              しょうけんごうんかいくう
    度一切苦厄。                どいっさいくやく

        ◎  世の中や、他の人々や、自分自身を「とらわれなく自由に見る」
          ことができるようになった人(観自在菩薩)が、
        ◎  穏やかな心に至る(波羅蜜多)深い知恵(般若)働かせた時に、
        ◎  五つある心の世界(五蘊)はみな『こだわるに値しないもの(空)』
          であると知り、
        ◎  一切の苦しみの正体を見切った。

        ○  五つある心の世界(五蘊)というのは次の段の「色、受、想、行、
            識」のこと。

        2004-06-02(水)訂正以前。
        ◎  世の中や、他の人々や、自分自身を自由に見ること(観自在) 
          ができるようになった人(菩薩)が、
        ◎  心の五つの世界(五蘊)はみな『こだわるに値しないもの(空)』
          であると知り、

  舎利子。                      しゃりし
  色不異空、空不異色、          しきふいくう、くうふいしき
  色則是空、空則是色。          しきぞくぜくう、くうそくぜしき
  受想行識、亦復如是。          じゅ、そう、ぎょう、しき、やくぶにょうぜ

        ◎  彼は、シャーリプトラ(お釈迦さんの弟子の一人)に語った。
        ◎  色::物の世界(色)
                は『こだわるに値しないもの (空)』である。
        ◎  受::感じることの世界(受)、
            想::思うことの世界(想)、
            行::行うことの世界(行)、
            識::知ることの世界(識)
          もまたこれと同じく『こだわるに値しないもの(空)』である。

  舎利子。                      しゃりし
  是諸法空相、                  ぜしょほうくうそう
  不生不滅、                    ふしょう、ふめつ
  不垢不浄、                    ふく、ふじょう
  不増不減。                    ふぞう、ふげん

        ◎  シャーリプトラよ、
        ◎  これらの人間が感じうるすべての世界が『こだわるに値しない
          もの(空)』であるという法則は、
        ◎  生まれるものではなく、無くなるものでもなく、
        ◎  汚れることもなく、きれいになることもなく、
        ◎  増えるものでもなく、減るものでもない。

        ○  通常の物や観念は原因があって生まれ、いずれ消滅する物であ
          る。生まれたものではないというのは、消滅することもないもの、
          すなわち永遠の法則である。という意味。

  是故、空中、                  ぜこ、くうちゅう
    無色、無受相行識、          むしき、むじゅそうぎょうしき

        ◎  したがって、『人間が感じうるすべての世界がこだわるに値し
          ないものであるという法則(空)』の中には、
        ◎  色::物の世界もなく、
            受::感じることの世界もなく、
            想::思うことの世界もなく、
            行::行うことの世界もなく、
            識::知ることの世界もない。

    無眼耳鼻舌身意、            むげんにびぜっしんい
    無色声香味触法、            むしきしょうこうみそくほう
    無眼界、乃至、無意識界、    むげんかい、ないし、むいしきかい

        ◎  (『人間が感じうるすべての世界がこだわるに値しないもので
          あるという法則(空)』の中には)
        ◎  眼も、耳も、鼻も、舌も、(触感を感じる)身も、
          (言葉や意味を感じる)意(こころ)も存在しない。
        ◎  (眼で感じる)色も、(耳で感じる)声も、(鼻で感じる)香
          りも、(舌で感じる)味も、(身で感じる)触れた感じも、(意
          で感じる)法も存在しない。
        ◎  眼で感じる世界もないし、(耳で感じる音の世界も、鼻で感じ
          る香りの世界も、舌で感じる味の世界も、身で感じる触感の世界
          も)、意で感じる世界も存在しない。

        ○  「万有引力の法則」の中には「リンゴ」も「ニュートン」も存
          在しない。

        ○  「眼、耳、鼻、舌、身、意」は六処、六根ともいう。

    無無明、亦、無無明尽、      むむみょう、やく、むむみょうじん
    乃至、無老死、亦、無老死尽、ないし、むろうし、やく、むろうしじん

        ◎  (『人間が感じうるすべての世界がこだわるに値しないもので
          あるという法則(空)』に気が付いてしまえば)
        (1)無明::本当のことを知らない(無明)としても問題ではな
              く、本当のことを知り尽くした(無明尽)かどうかも問題で
              はない。
        (2)行::わけも分からずに動いた(行)としても問題ではなく、
              しっかり分かって行動したかどうかも問題ではない。
        (3)識::わけも分からずに気が付いてしまった(識)としても
              問題ではなく、しっかり分かって気が付いたかどうかも問
              題ではない。
        (4)名色::わけも分からずに物と名前の世界(名色)に振り回
              されたとしても問題ではなく、物と名前の世界の何たるかを
              しっかり分かったうえで物の世界とつき合ったかどうかも問
              題ではない。
        (5)六処::六個の感じる場所(六処=眼耳鼻舌身意)の何たる
              かを知らないままに感じ続けたとしても問題ではなく、感じ
              る場所の何たるかをしっかり分かったうえで感じたかどうか
              も問題ではない。
        (6)蝕::感じること自体の何たるかを知らないままに感じた
              (触)としても問題ではなく、感じるということの意味をし
              っかり分かったうえで感じたかどうかも問題ではない。
        (7)受::「(ものや人や自分や文字、観念を)感じたときに自
              らのうちにわき上がるもの(受、感情や理解)」の何たるか
              を知らずにそれに振り回されたとしても問題ではなく、それ
              をしっかり分かったうえで自らを保ったかどうかも問題では
              ない。
        (8)愛::ものや人や自分を「愛する(愛)」ことの何たるかを
              知らずにそれに振り回されたとしても問題ではなく、それを
              しっかり分かった上でそれらとの繋がりを保ったかどうかも
              問題ではない。
        (9)取::ものや人や自分に「こだわる(取)」ということの何
              たるかを知らずにそれに振り回されたとしても問題ではなく、
              その正体を分かったうえで必要に応じてこだわったかどうか
              も問題ではない。
        (10)有::ものや人や自分が「ある(有)」ということの何たる
              かを知らずに振り回されたとしても問題ではなく、「ある」
              ということの意味をしっかり知ったうえでそれらを「ある」
              ものとして扱ったかどうかも問題ではない。
        (11)生::「生きる(生)」ということに振り回されたとしても
              問題ではなく、「生きる」ということの正体をしっかりつか
              んだうえで生きたかどうかも問題ではない。
        (12)老死::「生まれること、病気になること、 老いること、
              死ぬこと(老死)」の何たるかを知らずに振り回されたとし
              ても問題ではなく、それらをしっかり分かったうえで「生ま
              れ、病気になり、老い、死」んだかどうかも問題ではない

        ○  「無明ないし老死」というのは十二因縁のこと。「無明、行、
            識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死」の12個の
            心理的要素を意味する。

            「因縁」というのは次のような因果関係をいう。

        1:無明::真実を知らないこと(無明)から、無自覚的な行動(行)
            の苦しみが生まれる。

        2:行::無自覚的な行動(行)から、それに気がつくこと(識)の
            苦しみが生まれる。

        3:識::気がつくこと(識)から物質世界(色)や世間の人々が正
            しいと信じている思いこみの世界(名)そのものが苦しみである
            と感じるようになる。

        4:名色::物質世界(名色)を苦しいと感じたり、楽しいと感じた
            りすることから6個の感覚(六処、眼耳鼻舌身意)の苦しみが生
            まれる。

        5:六処::6個の感覚器官(六処)をわが物と思うことから感じ
            ること(触)の苦しみが生まれる。

        6:蝕::感じること(触)をわが物と思うことから感情(受)の苦
            しみが生まれる。

        7:受::感情(受)をわが物と思うことから物や人や観念を愛する
            こと(愛)の苦しみが生まれる。

        8:愛::物や人や観念を愛すること(愛)から人や物や観念への執
            着(取)の苦しみが生まれる。

        9:取::物や人や観念への執着(取)から自分や他人や物や観念を
            所有すること(有)の苦しみが生まれる。

        10:有::自分や他人や物や観念をわが物と思うこと(有)から生き
            ること(生)の苦しみが生まれる。

        11:生::自分が生きること(生)をわが物と思うことから老いや死
            ぬことの苦しみが生まれる。

        12:老死::生まれること、病気になること、老いること、死ぬこと
            などの苦しみ。

    無苦集滅道、                むくじゅうめつどう

        ◎  『人間が感じうるすべての世界がこだわるに値しないものであ
          るという法則(空)』に気が付いてしまえば、
        (1)苦::苦しみの正体を見極める(苦)必要はなく、
        (2)集::苦しみの原因を見極める(集)必要はなく、
        (3)滅::苦しみを取り除く方法を見つける(滅)必要はなく、
        (4)道::苦しみを取り除く方法を行う(道)必要もない。

        ○  「苦集滅道」というのは四つの真理(四聖諦)と呼ばれている
          もの。次のような、しごく平凡な「当たり前の話」。だが、しか
          し、実際にやるとなったら、とても実行不可能な「当たり前の話」。

        ○  穏やかな心(涅槃)を得るためには、苦しみを取り除けばよい。
        
        ○  道::苦しみを取り除くためには「苦しみを取り除く方法を実践
          (道)」すればよい。
        
        ○  滅::「苦しみを取り除く方法を実践(道)」するためには「苦
            しみを取り除く方法(滅)」を見つければよい。
        
        ○  集::「苦しみを取り除く方法を見つける(滅)」ためには「苦
            しみの原因(集)」を見極めればよい。
        
        ○  苦::「苦しみの原因を見極める(集)」ためには「苦しみの正
            体(苦)」を見極めればよい。

        ○  その四聖諦の方法に対して、般若心経は、そもそも世界は執着に
          値しないもであり、その苦しみも執着に値しないものであるから、
          その苦しみを滅却する方法も必要ない。ただ、それが無であり、空
          であることに気づきさえすればよいのだ。と主張している。

    無智、亦、無得。            むち、やく、むとく

        ◎  『人間が感じうるすべての世界がこだわるに値しないものであ
          るという法則(空)』に気が付いてしまえば、
        (1)「穏やかな心を得るための知恵」も必要はなく、
        (2)「穏やかな心を得る」ことそのものが無いことが分かる。

        ○  それらは既に実現されているのだ。

  以無所得故、                  いむしょとくこ
    菩提薩{土垂}、              ぼだいさった
    依般若波羅蜜多故、          えはんにゃならみったこ
    心無{四/圭}{石疑}。         しんむけいげ

        ◎  「努力して得るべき涅槃(得)」そのものが無いのであるから、
        ◎  求道者は、
        ◎  (「こだわる必要がない」という)涅槃に至る(波羅蜜多)智慧
          (般若)を持っているだけで、
        ◎  心に疑いが無くなっている。

  無{四/圭}{石疑}故、           むけいげこ
    無有恐怖、                  むうくふ
    遠離一切転倒夢想、          おんりいっさいてんどうむそう
    究竟涅槃。                  くっきょうねはん

        ◎  心に疑いが無いので、
        ◎  ものごとを恐れる気持ちも無く、
        ◎  一切の逆さまの(転倒)思いこみ(夢想)から遠く離れ、
        ◎  究極の心の平穏(涅槃)に至る。

  三世諸仏、                    さんぜしょぶつ
    依般若波羅蜜多故、          えはんにゃはらみたこ
    得阿褥多羅三藐三菩提。      とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

        ◎  過去・現在・未来の諸々の自覚者は、
        ◎  心の平穏に至る(波羅蜜多)智慧(般若)に依るが故に、
        ◎  究極の心の平穏を得る。

  故知般若波羅蜜多、            こちはんにゃはらみった
    是大神呪、                  ぜだいしんしゅっ
    是大明呪、                  ぜだいみょうしゅっ
    是無上呪、                  ぜむじょうしゅっ
    是無等等呪、                ぜむとうとうしゅっ
  能除一切苦、真実不虚。        のうじょいっさいく、しんじつふこ

        ◎  ゆえに、涅槃に至る(波羅蜜多)知恵(般若)を知るべきである
        ◎  これは大いなる神秘的な呪文である
        ◎  これは大いなる明らかな呪文である
        ◎  これは無上の呪文である
        ◎  これは比べるものがない呪文である
        ◎  一切の苦しみを取り除く、真実の偽りのないものである。

        ○  (お経のコマーシャルである)

  故説般若波羅蜜多呪。          こせつはんにゃはらみったしゅっ
  即説呪曰、                    そくせつしゅわっ
  ぎゃーてい、ぎゃーてい、  ◎  行くぞ、行くぞ
  はーらーぎゃーてい、      ◎  涅槃の世界に行くぞ
  はーらーそうぎゃーてい、  ◎  究極の涅槃の世界に行くぞ
  ぼじそわか。              ◎  (これでいいのだ?)
  般若心経。

        ◎  ゆえに、涅槃に至る知恵の呪文を教えよう。
        ◎  以下がその呪文である。
        ◎  「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はーらーぎゃーてい、
            はーらーそうぎゃーてい、ぼじそわか」
        ◎  以上が「般若心経」である。


2004-06-02(水) http://www.maharshin.com/PDA/Hsingyou/singyo1.html リンク切れ? 2001-03-04(日): http://faculty.web.waseda.ac.jp/ishihama/shersnying.html に「チベットの『般若心経』」というのがあった。それによると、 聖観自在は[仏が]深遠なる「悟りの智慧の究極」(智慧波羅蜜)を行 なうのをご覧になって、「身心を構成する五つの要素」 (五蘊 phung po lnga)もその本質においては空であるとご覧になったのである。 とあり、聖観自在が仏陀を見て悟ったという話になっている。 たけ(tk)訳ではゴーダマの別名と理解している。とはいっても、この教典 自体が大乗の視点から小乗の四聖諦主義を批判したものと考えられ、ゴーダ マの実際の発言を再現したものとは考えられない。よって、どちらでも良い。
2002-01-05(土):たけ(tk)訳『般若心経』、書き直し、ほぼ「やまと言葉」。 2001-03-04(日):たけ(tk)訳『般若心経』のリンクが切れていたので復活、書き直し 2000-03-20(?):たけ(tk)訳『般若心経』

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