自律者の徳目(仁義礼智信)と従属者の徳目(忠孝悌)

阿修羅というサイトで次のような発言をしたところ、。

http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/806.html
「自律者の徳目(仁義礼智信)と従属者の徳目(忠孝悌)」

Ddogさんという方から

http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/830.html
孔子の道徳律は、「忠考悌仁義礼智信、明浄正直勤務追進」

「ちなみに有名な孔子の道徳律は、「忠考悌仁義礼智信、明浄正直勤務追進」ではなかったかな?」というレスをいただいた。

その後いろいろ調べたのだが、遅くなってしまって、回答をし損なってしまったので、ここで回答しておきます。

本稿の趣旨としては、

(1)本来の孔子の徳目は、自立者(君子)のための 仁義礼智信      であった。
(2)宋代になって「孝経」という書物が強調されて 仁義礼智信+忠孝悌 となった。
(3)その後の「儒教」ではもっぱら従属者のための        忠孝悌 を重視するようになった。

要するに、換骨奪胎されて、中身が入れ替わってしまった。というものです。

阿修羅での発言

自律者の徳目(仁義礼智信)と従属者の徳目(忠孝悌)
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/806.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 4 月 10 日 02:20:01:SjhUwzSd1dsNg

(回答先: グローバルアイ 3月号 アメリカ民主主義で育ったインテリが「反米」を叫ぶ日本 投稿者 Ddog 日時 2003 年 4 月 10 日 00:46:54)

>「義をみてせざるは勇なきなり」の信義もあった。
>国際信義とは同盟の"義"の死守

にだけ反応。

http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/lrin/lrin79.html
>『南総里見八犬伝』で有名な「仁義礼智忠信孝悌」という八つの徳目の内、儒教では「仁義礼智信」を「五常の徳」という。

「五常の徳」というのは自律者の徳目(仁義礼智信)です。それに対して馬琴が追加した忠孝悌は従属者の徳目です。

仁(思いやり)義(普遍的正義)礼(習俗を尊重する)智(智慧)信(自分の発言は実行する)はどれも自律者として必要とされる徳目。それに対して、

忠(権力者に忠誠を尽くす)孝(親に従う)悌(兄に従う)は何らかの隷属関係にある人間の、上位者にとっては都合のよい「徳目」。

「日本的な」美徳として忠義(権力者に忠誠を尽くすのが正しい)とか、義理(恩を受けたものにお返しをしなければならない)とかいうものがある。(「日本的な美徳」といっても、おそらくは江戸中期以降のイデオロギーだと思う)。

社会関係においては、従属的地位に置かれることは当然あり得る。従属者が自ら仁(思いやり)義(普遍的正義)礼(習俗を尊重する)智(智慧)信(自分の発言は実行する)の評価をした上で忠(権力者に忠誠を尽くす)孝(親の利益を考える)悌(兄に従う)ことを決断するのは一向に構わない。

しかし、仁義礼智信を投げ棄てて、ただ忠だけに従うのであれば、奴隷の平和を求めるに過ぎなくなる。

「義を見てせざるは勇なきなり」を「寄らば大樹の陰」の意味でことあげするのは、孔子に対する冒涜である。

本論

(1)論語での「孝・悌」の扱い

(1)論語でどのように扱われていたかというと、「孝・悌」は初級者の徳目として、「仁」の初歩として語られていたようです。

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo01.html

01-02 有子曰。其爲人也孝弟。而好犯上者。鮮矣。不好犯。而好作亂者。未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。其爲仁之本與。

有子(ゆうし)曰く、其の人となりや孝悌(こうてい)にして、上(かみ)を犯すを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずして、乱を作(な)すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず。孝悌なる者は其れ仁(じん)の本たるか。
これはそもそも孔子の言葉ではないんですね。後述の「孝経」の作者と言われる有子の言葉。
有子は「孝悌」を「仁」の本と理解していた。

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo01.html

01-06 子曰。弟子入則孝。出則弟。謹而信。汎愛衆而親仁。行有餘力。則以學文。

子曰く、弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち悌(てい)、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行って余力あれば則ち以て文を学べ。
孔子は、弟子(学習者)の徳目として、親に対する孝行、上席者に対する悌、人間関係における信(約束を守る)、人々に対しては仁(博愛)の徳目を実践することを勧めている。

(2)論語での「忠」の扱い

(2)論語で孔子の言葉としての「忠」は「忠告」や「忠信」という「信頼を裏切らない」「嘘をつかない」という徳目として語られている。「忠義」の「忠」とは異なった意味で使っている。つまり、「忠義」は孔子の徳目に入っていない。

それに対して、孔子に問いかけた政治家は「人民の忠誠をあるためにはどうすればよいか?」というように「忠」を「忠誠」の意味で使っている。

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
4 曾子曰、吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。与朋友交而不信乎。伝不習乎。

曾子:私は一日に三度反省する。思いやりをもって人のためにしたか。友との交際で嘘をつかなかったか。身に付けていないことを人に教えてしまったか。
ここでは「忠(不忠乎)」を「真面目に人のために考えたか」という意味で使っている。忠義の「忠」とは意味が違うようだ。

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
7 子夏曰、賢賢易色、事父母、能竭其力、事君能致其身。与朋友交、言而有信、雖曰未学、吾必謂之学矣。

子夏:賢くして顔色は落ち着き、父母に孝行するのに全力を尽くし、君主に仕えるのに身命を尽くす。友との交友は、嘘をつかない。こういう人物は、人が学問が足りないと言っても私は学問があると言うだろう。
孔子の言葉ではない。上記ページには「これほどの人間は立派だが、まだ仁とはいえない。学習は仁が目的であるから、これだけでは学があるとはいえないだろう。」というコメントがついている。「忠」という文字はないが「事君能致其身」が意味的に後代の「忠義」に該当する。

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
8 子曰、君子不重則不威。学則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。

君子は重心が低くなければ、威厳がない。学ぶならば固執しない。忠信を主として、自分以下の友がいない。失敗しても、改めることを躊躇しない。
ここの「忠」も「嘘をつかない」という意味だろう。

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
20 季康子問、使民敬忠以勧、如之何。子曰、臨之以荘則敬。孝慈則忠。挙善而教不能則勧。

季康子:民に敬忠を勧めようとおもうが、どうだろう。孔子:民には厳かに臨めば敬われるでしょう。孝慈をもってすれば忠くなるでしょう。あなたが善を好んで民を教え導けば、それが勧めるということなのです。
http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
19 定公問、君使臣、臣事君、如之何。孔子対曰、君使臣以礼、臣事君以忠。

魯の定公:君主が臣下を使い、臣下が君主に仕えるには、どうしたらいい。孔子:君主が臣下に命令する時は礼にしたがって、臣下が君主に仕える時は忠にしたがうのです。
政治家たちが「人民に忠誠を要求するにはどうすれば良いか?」と聞いた。孔子は次のように答えた。君主が家臣に対して孝慈と礼をもって接すれば、家臣は君主に忠誠を尽くすだろう。孔子が徳目として勧めているのは「忠義」ではなくて「孝慈」と「礼」のほう。

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
15 子曰、参乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。

孔子:曾参よ、私の道は一本で貫かれているのだ。曾参:はい。孔子は退出した。門人:どういうことですか。曾参:先生の道は忠恕だということだ。
* これは何だろう?

上記ページのコメントは「前後の脈絡がわからないが、このような謎かけのような言葉で伝わるはずがない。わかるとすれば聖人だけである。曾参は聖人ではない。曾子学派によるものである。」

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
19 子張問曰、令尹子文、三仕為令尹、無喜色。三已之、無慍色。旧令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰仁矣乎。曰、未知。焉得仁。崔子弑斉君。陳文子有馬十乗、棄而違之。至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也。違之。之一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰、清矣。曰、仁矣乎。曰、未知。焉得仁。

子張:令尹の子文は、三度令尹となって喜ばず、三度止めさせられて怨みませんでした。新旧の引き継ぎを行ないました。どうでしょうか。孔子:忠だね。子張:仁ではないのですか。孔子:わからないね。どうして仁であるか。子張:崔杼が斉君を弑した時、陳文子は財産を棄てて亡命しました。他国に行くと「ここにも崔杼がいる」として去りました。また、次の国でも同じようなことがありました。これはどうですか。孔子:清だね。子張:仁ではないのですか。孔子:わからないね。どうして仁と言えるのか。
この文では「忠」は「仁」に劣ることを前提とした議論になっている。
この「忠」は「任務に忠実」といった意味だろう。君主に忠誠を尽くすという意味ではなさそうだ。

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
28 子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。不如丘之好学也。

どこかの村には私ぐらいの忠信の者はいるものだ。しかし、私のように学を好む者はいないだろう。
・・・

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo07.html
07-24 子以四教。文行忠信。

子、四を以て教う。文 ・ 行 ・忠 ・信。
http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo09.html
09-24 子曰。主忠信。毋友不如己者。過則勿憚改。

子曰く、忠信を主とし、己(おのれ)に如かざる者を友とする毋(なか)れ。過ちては改むるに憚かること勿れ。
http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo12.html
12-10 子張問崇徳辨惑。子曰。主忠信徙義。崇徳也。愛之欲其生。惡之欲其死。既欲其生。又欲其死。是惑也。

子張(しちょう)、徳を崇び惑いを弁ずるを問う。子曰く、忠信を主とし義に徙(うつ)るは徳を崇ぶなり。これを愛しては其の生を欲し、これを悪んでは其の死を欲す。既に其の生を欲し、又た其の死を欲す。是れ惑いなり。
これらの忠信は「嘘をつくな」ではないか?

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo12.html
12-14 子張問政。子曰。居之無倦。行之以忠。
子張(しちょう)、政を問う。子曰く、これに居りて倦むことなかれ。これを行うに忠を以てせよ。
これも、政治家が「政治をどう行うか?」という問いに答えたものなので、「忠」は君主が人民に「嘘をつくな」だろう。

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo12.html
12-23 子貢問友。子曰。忠告而善道之。不可則止。毋自辱焉。

子貢(しこう)、友を問う。子曰く、忠告して善くこれを道(みちび)く。可(き)かざれば止む。自ら辱めらるるなかれ。
「忠告」というのは「嘘をつかずに相手が聞きにくいことを告げる」という意味らしい。

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo13.html
13-19 樊遅問仁。子曰。居處恭。執事敬。與人忠。雖之夷狄。不可棄也。

樊遅(はんち)、仁を問う。子曰く、居処(きょしょ)するに恭しく、事を執るに敬(つつ)しみ、人に与(むか)って忠ならば、夷狄(いてき)に之(ゆ)くと雖も、棄つべからざるなり。
この「忠」も「嘘をつくな」だろう。「仁政」を行う基本は「人民に対して嘘をつかないことだ」と言っている。

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo14.html
14-08 子曰。愛之能勿勞乎。忠焉能勿誨乎。
子曰く、これを愛しては能く労(ねぎら)うなからんや。忠ならば、能く誨(おし)うるなからんや。
意味不明。

http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo15.html
15-05 子張問行。子曰。言忠信。行篤敬。雖蠻貊之邦行矣。言不忠信。行不篤敬。雖州里。行乎哉。立則見其参於前也。在輿則見其倚於衡也。夫然後行。子張書諸紳。

子張(しちょう)、行わるることを問う。子曰く、言うこと忠信にして、行い篤敬(とくけい)なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖も行われん。言うこと忠信ならず、行い篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば其の前に参(まじ)わるを見、輿(よ)にありては其の衡(こう)に倚(よ)るを見て、夫れ然る後に行われん。子張これを紳(しん)に書す。
http://homepage2.nifty.com/osho-sozen/homepage/rongo16.html
16-10 孔子曰。君子有九思。視思明。聽思聰。色思温。貌思恭。言思忠。事思敬。疑思問。忿思難。見得思義。

孔子曰く、君子に九つの思いあり。視るには明を思い、聴くには聡(そう)を思い、色は温を思い、貌(かたち)は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑いには問うを思い、忿(いか)りには難を思い、得るを見ては義を思う。
これらの「忠」も「嘘をつくな」。

(3)「孝経」

(3)忠・孝・悌は「孝経」という書物で強調されています。

「孝経」の内容

http://www2s.biglobe.ne.jp/~taise/index_065.htm
士人章第五
父に事うるに資つて以て母に事え、而して愛同じ。父に事うるに資つて以て君に事え、而して敬同じ。故に母、その愛を取り、而して君、その敬を取る。之を兼ぬる者は父なり。故に孝を以て君に事うれば則ち忠、敬を以て長に事うれば則ち順なり。忠順失はず、以てその上に事う。然して後、能くその禄位を保ち、而してその祭祀を守る。蓋し士の孝なり。詩に云う、「夙に興き夜に寝ね、爾の所生を忝(ハズカシ)むること無かれ」と。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~taise/index_067.htm
廣揚名章第十四
子曰く、君子の親に事うる孝なり。故に忠、君に移す可し。兄に事うる悌なり。故に順、長に移す可し。家に居て理まる。故に、官に移す可し。是れを以て行、内に成りて、而して名、後世に立つ。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~taise/index_068.htm
事君章第十七
子曰く、君子の上に事うるや、進んでは忠を尽さんことを思い、退いては過を補わんことを思う。その美を将順し、その悪を匡救(キュウキュウ)す。故に上下能く相親む。詩に云う、「心に愛せば、遐(ナン)ぞ、謂(ツ)げざらんや、中心之を蔵す、何の日か之を忘れん」と。
ここでは孔子が「忠・孝・悌」を主張したことになっている。しかし「能くその禄位を保ち」とか「名、後世に立つ」などという動機づけで孔子が語ったのだろうか?

(4)宋代の十三経

(4)この「孝経」は宋代になって重要視されるようになったもののようです。

http://www5.airnet.ne.jp/tomy/koten/ichiran/shisho.htm
四書: 大学 中庸 論語 孟子

五経とともに儒学の枢要の書。

五経: 易経(周易) 書経(尚書) 詩経(毛詩) 礼記 春秋(左氏春秋)

先秦時代に存したと伝えられる六経のうち、亡失した楽経以外の経書(けいしょ)。漢代に諸家の流伝をもとに 復元編纂。唐代の五経博士が、春秋の諸家のうち毛氏の詩、左氏の春秋を正科として以来、五経となった。

十三経: 易経(周易) 書経(尚書) 詩経(毛詩) 周礼 儀礼 礼記 春秋左氏伝 春秋公羊伝 春秋穀梁伝 論語 孝経 爾雅 孟子

宋代に確定した一三種の経書。

孝経(こうきょう)

一巻。十三経の一。曾参(そうしん)の門人が、孔子と曾参との孝道に関する問答を筆記したものと伝えられる。

宋代に「忠・孝・悌」が重んじられるようになった理由

宋代になって「忠・孝・悌」が重んじられるようになった理由はよくわかりません。

http://kaheki.hp.infoseek.co.jp/china/ronkai1.html
20 季康子問、使民敬忠以勧、如之何。子曰、臨之以荘則敬。孝慈則忠。挙善而教不能則勧。

季康子:民に敬忠を勧めようとおもうが、どうだろう。孔子:民には厳かに臨めば敬われるでしょう。孝慈をもってすれば忠くなるでしょう。あなたが善を好んで民を教え導けば、それが勧めるということなのです。

19 定公問、君使臣、臣事君、如之何。孔子対曰、君使臣以礼、臣事君以忠。

魯の定公:君主が臣下を使い、臣下が君主に仕えるには、どうしたらいい。孔子:君主が臣下に命令する時は礼にしたがって、臣下が君主に仕える時は忠にしたがうのです。
儒教を支配のためのイデオロギーとして使うようになったので、政治家の発想で換骨奪胎する必要があった、ということでしょうか?

もしくは、宋代の政治は北方の勢力に屈伏して朝貢(?)しているような状態だったので、国家としての独立性を主張しにくい状態にあった。それで、君主にも北方勢力に対する忠誠が要求されるようになった、ということか?

いずれにしても、孔子は自立者(君子)のための「仁義礼智信」を主張していたのに、いつの間にか、儒教といえば「忠孝悌」という従属者の徳目を人民に要求する思想になってしまったのです。

もちろん、これは孔子に対する冒涜だと思います。
(おわり)